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皆様♪
前回記事に多くのコメントありがとうございます。

ここまでお一人ずつが確立した意見を述べて下さったことに、感激しております。更新が遅くなり申し訳ありません。

関係者の皆様、どうかコメントに目を通して頂けるようお願いいたします。答えとして、という意味ではなく、これが現場の声です。現場を大事にする競技でいてほしいというのは、皆の願いだと思います。



正直、この件に関して、何度も何度も何度も考え直しました。ソフトテニスがわからなくなり、他競技の方にご意見を求めることもありました。この記事も書き始めて気づけば10日以上が経っていました。


それでもなんとか、今の私に伝えられることを書きました。まだまだ未熟ですが、具体的な例を交えて述べさせて頂きたいと思います。

最後までお付き合い頂けると幸いです。








〜見ていて楽しい競技になるには?
『ルール改正以外にできること』〜




まず初めにお伝えしておきたいのは、私はカットサーブやダブルフォワードが競技を盛り上げていない原因だとは感じません。



カットサーブは軟式のゴムボールだからこそできる大きな個性です。

ダブルフォワードも超攻撃型でありつつ、カバー力が必要な戦術。『勝てる』選手は非常に限られていますし、ソフトテニスの長い歴史の中で新しい形を見出したことは称賛されるべきだと思うのです。

もしその個性を失えば、とても幅の狭い、バラエティに富わない競技になってしまうと感じます。



ただ、技術の前に、テニスの醍醐味は駆け引きに魅力があると感じる人が多いと思います。私もそのうちの一人です。


カットサーブからの展開やダブルフォワードにも、その駆け引きは行われていると思いますが、卓越した技術であるからこそ、スピード感、展開の速さに目を奪われ、着いて行けない…というのが今の現状だと感じます。



ならば、この『見ている人がついていけない現状』を変えることができれば、プレー制限をかける必要はないのでは?と考えました。




一旦ソフトテニスから離れて、他の競技を見てみたいと思います。

例えば、フィギュアスケートで、浅田真央選手がトリプルアクセルにチャレンジする時。その実況ではトリプルアクセルがどれだけ難しい技であるか、過去どれだけの人が成功できなかったか、が伝えられます。


しかし、その説明がなかったとしたら?


フィギュアスケートの知識がない人は、トリプルアクセルの技の凄さは分からないと思います。私なんてフィギュアスケートを見始めた時には、何回転しているのかすら分かりませんでした。


説明があるから、その凄さや魅力が多くの人に伝わっているんです。



また、他競技の方と話す時。
『どうすれば競技の凄さや魅力をわかりやすく伝えられるのか』という話題になることがあります。


コアなファンが多いラグビーすらも『見ている人にルールがわかりにくい』と、代表の試合中は、プレーが止まる毎に、電光掲示板やアナウンスを使ってルール説明が入ります。



考えてみれば、人気があるとされる競技もしっかりと伝える努力をしているんですね。




ではソフトテニスにそういった工夫が見えるでしょうか?

「見ている人に分かりやすくする。」
「見ていて楽しいものにする。」

というのは、プレー以外にできることがあると思うんです。





大きな大会の決勝には、会場に向けて実況や解説があっていいと思います。

試合直後に「なぜあの場面であのプレーをしたのか?」と、インタビューを入れて、踏み込んだ戦術を聞いていいと思います。

他にも、テニスコートと客席の近さを活かして、お客さんからの質問を受けてもいいと思います。


マイク一本使うだけでも、見ている人に楽しんでもらう工夫はたくさんできると思うんです。





私はソフトテニスは非常に伝えることが欠けていると感じます。



『見ていて楽しい競技になること』は決して選手だけが担うことではないはずです。



競技に携わるもの皆で、一致団結して、この課題に取り組むことが必要だと思うのです。

団体は団体として、
選手は選手として、
チームはチームとして、
メディアはメディアとして、
私も私の言葉で。
伝えることに貪欲になること。


日に日に移りゆく時代。
スポーツも進化の時。
頑張らなければ、乗り越えられない時代が来ているのかもしれない。そこに対してどれだけの危機感を持てるかだと思います。


自分たちの良さを、自分たちが見失わずに。ルール改正の前に、アイディアと工夫で、乗り越える術はないでしょうか?




読者の皆様。前回に引き続き、お知恵をお貸し頂きたいです。

『競技を盛り上げるために、具体的にできること』
アイディアございませんでしょうか?


頂いたご意見を参考に、私も直接のアプローチを頑張りますから、どうぞお力添えをよろしくお願いいたします。





先日、仕事での関西滞在で日本を代表する選手たちからもコメントを頂いて参りました。


次回お届けします。





本山 友理



本山友理です。


ソフトテニス連盟 平成27年度の事業計画書にこんな記載がありました。


『肩から下でのカットサーブ禁止の検討を行う』


賛否両論あるかと思います。このブログでご意見を頂くことにも賛否両論ありそうですが、やはり、私は多くの方の声を聞いてみたいので…。

私個人としては「なくならないで欲しい」ですが、その理由含めて、詳しくはまた次回投稿させて頂きます。




皆さんのご意見をお聞かせ願います。




本山友理



平成27年度事業計画案
http://www.jsta.or.jp/wp-content/uploads/schemes/plan2015_draft.pdf

本山友理です♪
地元・長崎に帰ってきております! 2014-10-28-13-31-22

国体も終わり、天皇杯も終わり…
夏から続いた試合も、この時期になれば少し落ち着き、一息つける方も多いのではないかなと思います。

かと思えば、チームでは代替わりであったり、新チーム体制になったり…と、休みも多くはなく…ソフトテニスのシーズンは一年中ですね(^^;)

選手の皆さん、怪我などありませんようどうかお気をつけて!
先生方、保護者の皆様も体調を崩されませんように!





さて、前回まで現状維持は衰退への一歩というタイトルを中心に、迷いに対してどう向かうかという内容を書いてきましたが。



今回タイトルにしたのは『逃げていい時』



高校時代を飛び越えて、さらに昔の話になりますが、私は小学生の頃ソフトボールチームに入っていて、男の子の中でプレーしていました。所属している女の子は私と下級生の子の二人だけ。

当時チームメイトの男子はクラスの女子から人気があり、普通に仲良くしている私に良い気持ちがしない上級生グループがいました。(これ以来恋のトラブルは本当に苦手。笑)

そのグループから、練習に行く途中の道で待ち伏せされ、悪口を言われたり、靴を隠される出来事があったんですね。今思えば可愛いもんですが、当時の私からすれば、その嫌がらせはとても辛くて、給食を一切食べられくなった時期もありました。

たぶんいじめられた人にしかわからない感覚だと思うのですが。


頭が真っ白になる感じとか、いじめる人が通った時のばっと汗が出る緊張感とか。また、何か言われるんじゃないかと爆発しそうな心臓とか。凍り付くような不思議な感覚が身体全体を襲うんですね。


私の場合、それ以上エスカレートする事は無かったですが、中学校で校区の学校を選択せず、私立中学への入学を決めた最大の理由はコレでした。

それまで仲が良かった友人たちと離れるのは寂しかったけど、相談する勇気を私は持っていませんでしたから、学校で嫌なことがあってもきっとまた笑顔で「行って来ます」と言ってしまう。同級生にも「大丈夫」と言ってしまう。そんな自分が見えていたから、そうなる前に逃げました。



2013年に全中優勝した領家中学の中村先生がおっしゃっていた言葉が印象に残っています。
「学校は、幸せになることを教える場所です。勉強も友情もテニスも、手段のひとつです。勝つことが『幸せ』になってしまうと、負けたとき何も得るものが無くなってしまう。リスクが大きすぎます。大人が子どもを頑張らせる時は、負けても大丈夫な状態を整えてあげることが大事だと思っています。」


中村先生が言った「負けても大丈夫な状態」とは、勝ち負け以上に大事なことを教えるという意味で使われた言葉だと思いますが、子どもの逃げられる幅をつくっている中村先生にとても感動しました。そして、学校は幸せになることを教える場所であるという言葉は私の心に深く刻まれました。


子どもにとって学校は、絶対的な場所で、その世界がすべてだと思ってしまいます。本当は『行くor行かない』という選択があるのでしょうが、大人の言葉で『行かなければならない場所』になっている。絶対的な場所で、居場所を感じられず「いらない」と言われることはとても苦しいんです。


もし、当時の私のように辛い思いをしている人がいたら、無理して闘わなくていいと言ってあげたい。
逃げることは恥ではなく、ひとつの選択なのだから。

私がソフトテニスを知り、素晴らしい先生と友人に出会い、中村学園に入学するという道が拓けたのは、その中学校だったからです。その出来事が無ければ、手に入っていないものがたくさんあります。


道はひとつではないです。
そして可能性もひとつではない。
自分を信じて、逃げたいときは逃げていい。

忍耐力とは、他人からの攻撃に耐えることではなく、自分の決めた目標に向かい続けることで養われると思います。

大人でも子どもでも。
何に立ち向かい、何を回避するのか。その選択を繰り返していくことで、道は開かれると信じます。

そして、その選択の幅を見せてあげることこそが大人の役割であり、夢を見せることであるのかもしれません。



今日はこの辺で♪

Yuri Motoyama

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